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越後上越柿崎区 浄土真宗本願寺派 扇谷山浄福寺です。
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浄土真宗の仏事について
お仏壇のこと
本堂のお内陣の荘厳は、ただ単にデザインとして描かれているわけではありません。
経典にある言葉を形にしたものです。
ですので、あのお姿にはすべてに教えが説かれており、すべてに意味があります。
経典には、「お浄土には阿弥陀様がおられ、八つの功徳の水があり、池の中には蓮の花が咲いており、つねに妙なる香りが漂っており、また、妙 なるお花が咲いて、常に妙なる音楽が奏でられている」と説かれています。
その教えが形になったものが本堂のお荘厳であり、それをコンパクトにしたものがご家庭のお仏壇です。
しかし、これだけではお浄土とはいえません。そこに住む人たちがいます。
いつも心穏やかで、つねに教えを楽しんでおられる人たちです。
お家では誰にあてはまるのかと言うと、それは貴方自身です。 阿弥陀様がおられて、それを取り巻く環境があり、その環境を楽しむ人々がいて、初めてお浄土といえるのです。
お仏壇はそれを演出しているのです。ですので、お仏壇は家の中心となるべきであり、家族が手を合わせるためのものです。
そして故人を偲びながら、その人と会話をし、感謝の気持ちを思い起こすことで、人としての心を呼び覚まさせてもらうのです。 正式には、お仏壇は、亡くなってからではなく、生きているうちにお迎えするものです。
お通夜と葬儀
お通夜も葬儀も、実は亡き人のための儀式ではありません。
むしろ亡き人からのプレゼントです。
深い悲しみの中から、新しい世界が広がっ ていくことを感じさせていただく大切な仏事です。
お通夜は、「夜伽」ともいい、家族、親族、知人らが集まって、夜を通して亡き人に寄り添いながら、「いのち」「死」「自己」を皆で語り合う 場 であり、それがお通夜の本来の意味です。
日頃、私たちは、「いのち」について考えることはありませんが、私たちもいずれその時がきます。その「いのち」についてあらためて考える時 間 がお通夜ですし、翌日の葬儀の前に行なうものとして儀式化されてきました。
皆さんも経験があると思いますが、深い悲しみのなかで一緒に泣いてくれる人がいると心が温まるものです。これは日頃忘れている感情 です。
この気持ちは、人にとってとても大切なものです。また、悲しみを知った人は、人を愛することが出来ますし、心が美しくなれます。
そして、悲しみは仏さまの光に触れる機会でもあります。光はすでに私たちに届いています。でも、私たちは、そのことに気が付かず日々をお くっています。そのことに気が付く人生と気が付かない人生とでは、大きく生き方が変わってしまいます。
また、その光は、経典や宗祖達のお言葉によって触れることができるのです。お通夜も葬儀も、その光との出遇いの場なのです。
近頃は、僧侶を呼ばないで親族や友人だけで済ませてしまう葬儀がありますが、そのように省略したり、簡略化することによって大切なことを失 なってしまいます。 また、お通夜や葬儀は、故人の死という現実を受けとめ、区切りとする大切な儀式でもあります。
仏事の中で一番大切な儀式かもしれませんね。
法事と儀式
法事は、先立たれた懐かしい方を偲ぶ中で、私たちも終わりのある人生を生きていることを知らされると同時に、み教えを聞かせていただく大切 な場なのです。
私たちは日頃から、大切な「いのち」についてあまり考えることがありません。
そのままでいると、何も残さないまま「死」を迎えることになります。
あなたの人生をより良く生き、その人生を完結するためには、仏さまの智慧が必要です。
「亡き人を偲ぶだけでは仏事とは言えない。亡き人への慕情を通して自己のあり方を見直すとき愛縁が転じて仏縁となる。」と言われています。 また「仏法を聞き、仏法に照らして我が身を見つめるとき、初めて人生の意味が見えてきます。
あなたの生き方を見つめてみなさい。」と亡き方がしつらえて下さった大事な仏縁なのです。
法事をしないでいると、次の世代は教えと出遇うことなく、そのままずっと受け継がれてしまいます。「人が死ぬときは、忘れられた時だ。」と 言われた方がおります。
法事をしないでいる人もやがて忘れられた存在になってしまいます。
そうならないためにも、法事が大切なのです。
お墓のこと
ある時テレビで、「高野山のお墓参りには二つ意味がある。一つは先祖に対する感謝を忘れないために。そしてもう一つは、亡き人たちが仏さま の修行を手助けするためにお墓参りをする」と言っていました。
浄土真宗も同じことが言えます。
お世話になった方に対する感謝の気持ちを失ってしまうと、人の心も失ってしまいます。
また、亡き人たちはすべて仏さまになって、迷える私たちを大切なところへ導くためにはたらいて下さっています。
お墓にお参りする人がいなければ、その仏さま方のはたらきもなくなってしまいます。
それと同時に大切な日本の文化も受け継がれなくなります。
最近、樹木葬などが流行していますが、あれは浄土真宗では本来の姿ではありません。
正面にお名号か経典のお言葉がない限り、手を合わせる対象にはならないからです。
私の場合、お墓参りして、迷惑をかけた父に対して「なんの親孝行もしないでごめんなさい」とひたすら謝ると同時に、その分誠実に精一杯生き ようと心を改める場所でもあります。
お墓参りは、日本人が古くから大切にしてきた文化ですし、大きな意味があります。
ですので、大切に受け継いでいってほしいです。
「お仏壇」 金子みすゞ
お背戸でもいだ橙も、町のみやげの花菓子も、仏さまのをあげなけりゃ私たちにはとれないの。 だけど、やさしい仏さま、じきにみんなに下さるの。
だから私はていねいに、両手かさねていただくの。
家にゃお庭はないけれど、お仏壇にはいつだって、きれいな花が咲いているの。
それでうち中あかるいの。そしてやさしい仏さま、それも私にくださるの。
だけどこぼれた花びらを、踏んだりしてはいけないの。
朝と晩とにおばあさま、いつもお灯明あげるのよ。
なかはすっかり金だから、御殿のように、かがやくの。
朝と晩とに忘れずに、私もお礼をあげるのよ。
そしてそのとき思うのよ、いちいち忘れていたことを。
忘れていても、仏さま、いつもみていてくださるの。だから、私はそういうの、
「ありがと、ありがと、仏さま。」 黄金の御殿のようだけど、これは、ちいさな御門なの。
いつも私がいい子なら、いつか通ってゆけるのよ