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越後上越柿崎区 浄土真宗本願寺派 扇谷山浄福寺です。
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一口法話
令和4年2月4日
最近、よくユーチューブを観ています。テレビと違って、知りたいことや興味のあることを
検索すればすぐに知ることができます。皆さんも、本願寺のことや仏教のことについて知りた
いことがあれば検索してみて下さい
大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放映されています。
その13人の御家人の一人に和田義盛がいますが、浄福寺を開基した井上忠長と関係がある人
物で浄福寺の縁起にも名前が載っています。知らないことがわかるということは楽しいですね。
他にも面白かったのが、木内鶴彦さんという方の臨死体験の話です。詳しくはここで書けま
せんが、子供のころから宇宙や星に興味があり、大人になった木内さんは航空自衛隊に入隊す
るのですが、ある時に急に臓器機能の低下と脱水症状に襲われて、翌日には72キロあった体重
が42キロになり、医師からはもって一週間と言われたそうです。
そこから現実から離れた不思議な体験をするのです。
その不思議な体験の一つに、知らない場所で講演をしている未来の自分がいることを知った
木内さんは、ひょっとして自分は助かるかもしれないと希望を持ったのです。
そして無事にこの世に生還した後に、人間にはそれぞれ役割があって生まれてきたのだと思
い、若い人たちに地球環境の大切さや宇宙のことなどを話すために講演活動をしているとのこ
とです。ある講演会に呼ばれた場所が、高野山の清浄心院というところでしたが、そこはまさ
に臨死体験で見た場所だったとのことです。
真実かどうかは分かりませんが、不思議なことがあるものですね。
その他にも木内さんは、体験を通して身体と心(意識)が別にあり、思っただけで時間と
空間を超えた世界に自由に行くことが出来たそうです。
彼の著書に『生き方は星が教えてくれる』というのがあるので、今度読んでみたいと思います。
以前、浄土真宗本願寺派の有名な講師の法話で
「私たちは境界線にない時間と空間を超えた世界に生まれさせようとはたらいておなれるのが
阿弥陀仏です。」と聞かせていただきました。
「時間と空間を超えた世界」って何だろうっと思っていましたが、木内さんの話を聞いて少し
理解ができました。そこは経典に説かれていますお浄土の世界なのかもしれません。
詳しいことは春のお彼岸の法話でお話ししますが、私たちも死後はどうなるのでしょう
ドイツの児童文学者であるミヒャエル・エンデという方の著書に『モモ』という本があります。
この『モモ』という本には、忙しい現代人に大切なことを伝えるメーセージが書かれています。
私は今年浄福寺で「エンデを語る会」みたいなことを是非してみたいと思っています。
その本には
「人間は肉体から離れて、音のような、目には見えないけれど感じることができる存在になる」
と書かれていました。「音」とは、南無阿弥陀仏の教えのことだと味わっています。
私達は、昔から亡き人たちの命日には、お仏壇で読経してきました。
親鸞聖人は
「恋しくば南無阿弥陀仏を称すべし われも六字のうちにこそすめ」
と言われました。
先に往った大切な人たちは
「南無阿弥陀仏という広大な仏さまのいのちの中にその人は共にいます」
ということでしょう。
『正信偈』にはその「南無阿弥陀仏」のことが書かれていますから、やはりお仏壇で読経して
お参りすることは大切なことです。 ずっと大事に受け継いでいきたいですね。
合掌
浄福寺住職 井上陽雄
報恩講お引上げ一口法話
令和3年 銀河宇宙と一輪の花 そして仏さまと私
仏教には「縁起」という教えがあります。すべての事象は単独ではなく、すべてが支え合って存在しているということです。例えばここに一輪の 花が咲いているとすると、その花を支えているのは大地です。地球という星です。
その地球もまた太陽に支えられています。銀河という巨大な天体にです。
銀河系は太陽のような星が二千億以上もある星の集団ですが、その端っこにあるのが太陽系で、二億年の周期で銀河系の周りを回っているそうで す。
銀河系宇宙とは天の川です。夜空に輝く満天の星。
でも無数の星のどれ一つ欠けても太陽の軌道が狂うのだそうです。
太陽がおかしくなると地球も維持できなくなり、一輪の花の生命も育ちません。
つまり私たちの生命は、夜空の星のどれ一つ欠けても成り立たないということです。
本当に不思議というほかありません。
この「縁起の法則」からすると、地球も一つの生命なのです。地球の空気中の酸素が1%増えると山火事が多発し、1%減ってもバタバタ倒れる 生命体が現れるそうです。
気圧も気候も、あたかも意思があって地上の生命にぴったり合うように、この地球は調整し続けているというのです。
生命体が誕生したのは、およそ三十五億年前といわれています。
目に見えない小さなバクテリアが、地球環境の変化によって、手を取り合い、やがて生命の核が誕生します。そこからいろいろな形をした生命が誕 生します。
アノマロカリスや三葉虫、ピカイヤなどです。
ここで忘れてはいけないのが、この生命誕生には、それを育む環境が必要だったということです。
ビックバンで宇宙が誕生されたのが百五十億年前、銀河が百億年前、太陽がほぼ五十億年前、そして地球が四十五億年前と言われています。目に は見えないけれど、三百億年以上の働きがあり、私達一人ひとりの生命も、途方もない宇宙の営みの上に成り立っていることになります。
つまり私達一人ひとりの生命は、途方もない縁起で、宇宙のご苦労の上に成り立っているということです。
しかし、人間は「私の国、私の土地、私の家」という境界線を決めて奪い合い、争いを繰り返しています。
人間の歴史は、境界線を引いては私のものだと奪い合う繰り返しだとも言われています。また有害物質を排出したり、森林を伐採して環境を破壊 しています。
何百億年かかって築いてきたこのすばらしいシステムを人類は数十年で狂わそうとしています。
お釈迦さまは、「阿弥陀仏は、仏となりてよりこのかた、いまに十劫なり」と説かれます。
「阿弥陀」の「ア」は否定のノー、「弥陀」の「ミター」はメーターやメジャーと語源が同じで計るということです。つまり、計ることができない 仏が「アミター」で阿弥陀仏なのです。
「十劫」とは途方もない時間のことですので、つまり、阿弥陀仏は、生命が誕生する前から私たちを見守って下さっているというのです。
お釈迦さまは、二千六百年前にこの宇宙のシステムを知っておられたようで、本当に驚きます。
そんな仏さまに見守られている私たちには、目の前で起きている出来事に責任があります。
私の生命が他の生命と繋がっているということですから、他の生命を損なうことは自分の生命をも損なうことと同じだということを知るべきです。
このことを慈悲心といいます。そしてその心をもつことが、阿弥陀様の願いです。
親鸞さまは、その阿弥陀さまの願いを聞きなさいと言われます。
「
落ちてくる朴の広葉を 念仏となえて拾う そんな朝は 朴とわたしが 一つ になって光となり 風と大地いっぱいの 念仏となる
」
坂村真民
浄福寺住職 井上陽雄
令和2年 新型コロナウイルス感染拡大で思うこと
予想もできなかったことがおきました。しっかりと状況を見極めて行動したいと思います。
ただ、今回のコロナウイルス騒動は、私たちに様々なことを教えてくれていると思いましたので、一言書かさせていただきました。
先般、絵本作家の五味太郎さんは「コロナの前は居心地よかった?普段から感じている不安をコロナ問題に移行してい るだけ。元は本当に充実し ていたの?と問うてみたい」
とお話されました。
私も全く同感です。昨今の社会は、人と人との温かみのある繋がりがなくなり、何か違う方向に向かっているような気がして、あまり好きではありませ んでした。
『仏説阿弥陀経』の経典のなかに「共命之鳥」という鳥が登場します。
「共命之鳥」とは、身体は一つでありながら、頭と心を二つもつ珍鳥のことです。
経典には、
「昔、多くの「共命之鳥」の中でも、とりわけすばらしい鳥がいました。
しかし、二つある頭のいずれもが「私の頭の羽毛は比類なく美しく、声も 世界一美しい」と確信し、主張しました。
そしてお互いに憎しみあい、争いあうようになり、ついには「片方さえ無きものにすれば、この私が世界一に なれる」と考えるに至り、ある日密かに毒を混ぜ、片方に食べさせました。
食べた方はもちろん亡くなりましたが、食べさせた方も体が一つですから、 亡くなってしまいました。
この愚かな事件があってから、お浄土の「共命之鳥」は、『他を滅ぼす道は、己を滅ぼす道。他を生かす道こそ己の生かされ る道』と鳴き続けていると申します。」
と説明されています。
私たちのいのちも別々にあるのではなく、一つにつながっているということで、これは真理だと思います。
感染したアメリカの看護師が、病床で「自己中心にならないで下さい。あなたの行動が多くの命をなくしてしまいます。」と訴えていました。
今回の騒動で、日ごろの私たちの心のを振り返ったときには、反省すべきことがたくさんあると思います。それを自覚したときに、きっと新しい発見 があると思います。
天台宗の教えに「忘己利他」というお言葉があります。
「自分を忘れて他人のためにつくすこと」という意味です。
浄土真宗の教えにも「自利利他円満」というお言葉があります。幸せになりたければ相手を思いやりなさいという意味です。
「自利」の行いだけでは本当の幸せはなく、そこには常に争いが絶えません。
本当の幸せは「利他」の行いだというのです。これもまた真理だと思います。
昨年のラグビーワールドカップで、日本チームに「ワンチーム」という言葉が生まれました。
世界が「ワンチーム」となれば良いなあと思いますが、まずは日本が「ワンチーム」になってほしいと思います。大事なことは、何を学ぶかです。
世の中が便利になりましたが、いつの間にか大切なことを忘れているように思います。
もう一度、人間としての心を呼び覚ませてほしいです。
現状は決して闇ではありません。
なぜなら、闇は私達に本当の光の存在を教えてくれるからです。
○「光は闇の中で輝いている」
幸福が悲しみを伴って顕現するように、光はしばしば闇を伴って訪れる。
闇こそが、わずかな光をもえて離さず、そのありかを私たちに教えてくれる。
闇ほど強く光に照らされるものは、この世に存在しない。
闇は、私たちを恐怖に陥れるためにあるのではない。
いっそう強く光の存在を告げ知らせるために顕われるのではないだろうか。
浄福寺住職 井上陽雄
令和元年 大切なものは目にみえない
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えないんだよ。一番大切なことは目に見えない。」
と、『星の王子さま』(著者=サン・テグジュペリ 1943年出版)に書かれています。
この本は、世界で200か国以上に翻訳されていますので、それだけでも意味の深い本であると言えるでしょう。
ある時、星の王子様が、星に咲いたバラとけんかして、そこを飛び出します。
そして六つの星に行くのですが、そこに住んでいる人たちには、それぞれ意味があり、大切なことを教えています。
たとえば、一番目に出会う王様はいつも威張っています。そこには権力が表されています。
二人目は、大物気取りの男で、人気を追い求めています。
三人目は酒ばかりのんでいる男で、快楽を示しています。
四人目は財力、五人目は労働、六人目は学問を示しています。
誰もが追い求めているものですが、そこには真実はなく、虚しさしかないと教えています。
王子様はすべてを疑問に思い、やがて地球にやってきます。
そこでキツネに出会い、大切なことを学んでいきます。
この本には他にも
◎「世の中で一番難しいのは何だと思う?それはねえ。お金儲けや生活費を稼ぐこと?
世の中で一番難しいことは、人の心を得ることなんだ。」
◎「他の人には絶対にあけてやらないドアを、君だけ開けてくれる人がいたら、その人こそ君の まことの友達だ。」
◎「運命の人」とは突然出会うわけではない。相手を大切にしながら過ごした時間が、少しづつ 相手を「運命の人」にしてゆく。
と書かれています。とても心に響く言葉ばかりです。
とりわけ私は「この子がキレイなのは、心の中にバラを一輪持っているからだよ。
砂漠が美しいのはどこかに井戸をかくしているからだよ。」という言葉が好きです。
大切なものは目に見えないということですね。
お地蔵様の絵と言葉で有名な御木幽石さんは、
◎「ゆっくり歩かないと見えないことってたくさんあるから」
と言っておられます。私もそうですが、現代人は忙しすぎるのかもしれませんね。
先日、作詞家であり精神科の医師でもある北山修さんの講演を聞きに行きました。
北山さんは、「(ゆ)が大事。ゆったり、ゆっくり、余裕、ゆとり、ゆるむ、ゆるく、ゆるし、自由、遊戯、愉快、ユーモアなどが大事」とお話し されました。」と。
なるほどですね。
顔をあげて上をみれば青空が広がっています。それだけで幸せなのかもしれませんね。
御木幽石さんの言葉をもう一つ。
◎「だいじょうぶ。心配いらないよ。僕たちはちゃんと見てるから。あなたが一生懸命頑張っているの。きっとでっかいしあわせがまってる。」
古来より日本人は「見えないけど、いつも仏さまはあなたを見ておられるのだよ。」とおしえられ、そうした見えない仏さまの存在を感じ、対話 しながら生きてきました。
みえないもののなかにこそ、大切なものがあるということですね。
そのことに気づいたらきっと新しい世界が現れてきます。
浄福寺住職 井上陽雄
平成三十年 いつも心躍る夢を
木村弓さんが、映画『千と千尋の神隠し』の主題歌で「いつも何度でも」という曲を歌われていたのをご存知の方も多いと思いますが、この曲に ついて、ウクライナ出身のナターシャ・グジーさんが、次のようにお話しされました。
「人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返してしまします。悲劇を忘れないで下さい。同じ過ちを繰り返さないで下さい。そう願って私は歌 を歌っています。この曲はとっても可愛いらしい歌ですが、とっても意味の深い歌詞をもっています。」と。
私もいま一度この歌詞をよく読んでみますと、本当に意味深い内容が書かれていて、仏教の香りがする歌だなあと思います。
そこで私なりに解釈してみました。
「悲しみは数えきれないけど その向こうできっと あなたにあえる」
仏教用語に『倶会一所』(先に往った懐かしい人とお浄土で再会できるという意味)という言葉がありますが、その言葉とよく似ていますね。
「繰り返すあやまちの そのたび人は ただ青い空の 青さを知る。」
人は欲望に埋もれて真実に気付いていないということでしょう。大切なものはいつも身近にあると教えてくれているようです。
「果てしなく 道はつづいて見えるけれど この両手は光を抱ける」
私たちの人生には、つねに仏さまの光がとどいているということでしょう。
「さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる」
ゼロは、サンスクリット語でシューニャといい、「無」の意味があります。「無」は何もなくなるということではありません。
「花びらは散っても 花は散らない。形は滅びても人は死なぬ。」(金子大栄師)という言葉がありますが、「無」はその肉体から離れて、煩悩に捉われない仏の身になると いうことでしょう。
そして私たちが耳をすませることによって、その人の声が聞こえてくるということだと思います。
「悲しみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう」
とても素敵な言葉ですね。
落ち込んだときでも、その口でそっと歌うと気が軽くなりますよね。
「粉々に下された 鏡の上にも 新しい景色が 映される」
挫折の中でも、そこから新しい出会いがあるということですね。グジーさんもチェルノブイリ原発事故により、日本にご縁ができ、日本人と結婚 さ れて、この歌に出会ったのだそうです。
「海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしのなかに
みつけられたから」
私たちの人生は苦しみばかりですが、海の向こうや雲の上に幸せがあるのではなく、悲しみや苦しみの中にこそ本当の幸せがあるということで す。
二〇〇二年にお勤めしました『浄福寺本堂改修落慶法要』でも、木村弓さんがこの本堂で「いつも何度でも」を歌って下さいました。
その時の記念 色紙に「いつも心躍る夢を」と書いてくださっています。私たちも、いくつ歳をとっても「心躍る夢を」を忘れないようにしたいですね。
浄福寺住職 井上陽雄
平成二十九年 石仏たちからの伝言
現代は、なにかしら気忙しい感じがします。
何か自分を見失っているような感じがします。
そういう私も六十歳の還暦になり、物忘れも多く、要領も悪く、なんだかイライラすることが多いです。
最近、浄福寺の境内に石仏を置いてみました。みんないい表情で、忘れている大切なことを、私たちに思い起こさせてくれるようです。境内には 全部で八体あります。
それだけでなくウサギとカメも彫られています。探してみてください。
また浄福寺には次のような書が2幅あります。
〇
川越名号萬古傳 由来は至って聖く徳は天の如し 此の場には是華蔵界 幾樹 の桜花交わりて研を競う
雲洞石禅和尚
※萬古の傳=とても古い歴史
※華蔵界=報身如来によって建立された蓮華蔵世界。浄土真宗では阿弥陀浄土。
(意訳)川越の名号の伝来はきわめて古く その物語はとても清く 徳は天のように高いこの道場はそのまま浄土につながっている どれほどの信 心がここで美しさを競ったことだろう
親鸞聖人のお名号の伝承はとても聖く、それはとても尊いことでもあるということです。
そして、この本堂(昔は道場と呼ばれていました)で、たくさんの方がお参りに来られ、教えを聴いたり議論したりしたことを、それはまるで桜が 満開のようだとたとえられています。
またそれがそのままお浄土につながっているということです。すごくありがたい言葉です。
この書を書かれた方は、雲洞石禅和尚といい、新井石禅師(1864~1927)のことです。
師は曹洞宗第11代貫主を勤められた方で、南魚沼市の古刹「雲洞庵」の御住職も勤められました。「雲洞庵」は、テレビの『天地人』で、上杉 景 勝と直江兼続が幼少の頃修行した寺院として有名です。
明治41年には満州、朝鮮、台湾、ハワイ、米国など7ケ月各地を巡教され、ハーデング大統領とも会見されました。
そんな方が、浄福寺に来られて、書いてくださったということは大変光栄なことと思います。
もう一幅は、
〇
柿崎浄福寺璽天与免る い璽志へをおもへ者由免可うつつ可も 今古の寺璽鶯 遠起久ほ可ら可に鳴くは鶯柿崎のみ寺能春の安志多静け久
御風
この書を書かれた方は、糸魚川市出身の相馬御風師です。時間を忘れて静かに鶯の声を聞き、自然の恵みを感じて今生きていることを楽しめと 言っ て下さっているようです。
御風師もお酒が好きだったと聞いています。まるで境内にある「じょんのび石仏」みたいです。
じょんのび地蔵
『夢見地蔵』(命名は大日方義久さん)は「何も心配ないから。だいじょうぶ。」
夢見地蔵
『半跏地蔵』は「周りにふりまわされないで、自分を見失わないように。」
半跏地蔵
『浄子ちゃん』(命名は住職)「見て 見て。夕日が奇麗だよ。」
浄(キヨ)子ちゃん
ウサギは「仏さまのお話を聴きなさい。」カメは「焦らないで、一歩一歩が大事だよ。」
桂花ちゃん
浄福寺の境内の石仏や地蔵たちからの伝言です。
皆さんも落ち込んだときやイライラしたときには会いに来て、耳をかたむけてみて下さい。本当に声が聞こえるかもしれ ませんよ。
合掌
浄福寺住職 井上陽雄
夫婦円満像