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越後上越柿崎区 浄土真宗本願寺派 扇谷山浄福寺です。
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浄福寺報恩講お引上げについて
300年以上続く地域のおまつりに
浄土真宗では、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁として行われる法要を「報恩講」といいます。
浄土真宗の門信徒にとって一番大切な「親鸞さまの法要」です。
西本願寺では親鸞聖人の御命日を太陽暦の一月十六日としており、この日を含め七昼夜の法要を修行するのが「御正忌報恩講」です。
しかし、一般の寺院では、門徒の集まりやすい季節を選んで営むことが許されており、期日を「引き上げ」て行うので「報恩講お引上げ」といい ます。
浄福寺では現在六月二十日から二十二日までの三日間営まれています。
浄福寺の「報恩講お引上げ」は、宝永七(1710)年頃より、近郷の田植えもすんだ、初夏の六月二十一日をお中日に繰り上げています。
当時は田植えは現在よりも遅く行われていて、「お引上げまでに何とか仕上げよう」と農作業に精を出したといいます。
そして、農家が「ホッ」とひと息をつくこのタイミングの良さが、一寺院の宗教行事を地域最大の「おまつり」に成長させました。
他の寺院では、九月から十一月の秋の期間に営む場合が多いので、この時期の報恩講は珍しいと言われています。
お隣の浄善寺さんも、以前は九月に営まれていましたが、昭和三十一年より申し出があったため、今では同じ日に営むこととなりました。
浄福寺の由緒書によると、かつては鎌倉の扇ヶ谷に居住していた源氏の武将井上忠長は、鎌倉動乱の際に没落してしばらく信州に移り、後に柿崎 に小家を結び、武名を隠して扇谷(扇屋)と 名のっておりました。
建歴元年(1211年)に、不当な弾圧により流罪の身となった親鸞聖人と出逢います。
親鸞聖人のご懇篤なる御教化により、忠長の心に仏さまの信心が目覚め、お弟子となって 釈善順の法名を授かり、当寺院を開基したと伝えられています。
そして永仁二年(1294年)に二代住職善教が、本願寺第三世覚如上人より「扇ヶ山 浄福寺」の山号と寺号を賜ったと記録されています。
室町時代には木崎山のあたりに寺があったと推定されています。
天正五年(1577年)柿崎城落城の際に、寺も類焼し移転しますが、再び宝永四年(1707年)柿崎大火により類焼したため 、その三年後に門徒の墓地があった現在地に再建されました。
お引上げが今日のように盛んになったのはこれ以降のことと考えられていますので、浄福寺報恩講お引上げは、江戸時代より300年以上受け継 がれてきた一大行事といえます。
寄稿 お引上げに行きましょう
柿崎に300年以上も続く伝統行事「お引上げ報恩講」が間もなくやってきます。
お引上げは、それまで木崎山辺りにあった浄福寺が現在地に移転した宝永7(1710)年ごろから始まったといわれています。
報恩講はもともと、親鸞の命日、弘長2(1232)年、旧暦11月22日(現暦1月16日)とされ、浄土真宗西本願寺ではその命日を中心 に、7昼夜に及ぶ盛大な法要が営まれます。
しかし越後は、この時期冬真っ盛り。そこで田植えが植わる爽やかな季節、6月20日~22日に引き上げて行われるようになったのです。
開催当初から柿崎だけでなく、大潟、吉川、頸城の頸北一円などから熱心な門徒宗、老若男女が 本堂に泊まり込んで、一生懸命念仏を唱え、親鸞への感謝を述べたのです。
浄善寺では9月ごろ報恩講を行っていましたが、昭和33年から同じ時期に実施するようになりました。
そのため、信者目当ての露店が数多く立ち並び、住吉町道路は人波であふれ、多い年は8万人も訪れたと記録に残っています。
ちなみに昭和30年代には、芸能人演芸大会、大虎珍獣展覧会、アメリカ大サーカス、 のど自慢大会、仮装大会、吉本オートバイサーカス等々、とてもユニークな催しが行われ、娯楽が少なかった時代、人々の心を癒してくれました。
また、平成8年から10年ごろにかけても、3日間で6万人以上の人出でにぎわっており、露店も 210~250店ほど出店されていたそうです。
その頃に比べて、よく「以前より寂しくなった」と言う声を耳にします。
少子高齢化による人口減に加えて、娯楽の多様化などが重なって、にぎわい減少は致し方ないことですが、 それでも写真(27年夜店のにぎわい)で見る限り、結構な人出です。
商工会さんや観光協会さんなど関係者の頑張りが功を奏しているのだと思います。
問題はむしろ参加する側にあるのではないでしょうか。 「寂しくなった」と言うより、「寂しくしてしまった」と言った方がいいような気がします。
子供が大きくなった、ほかに遊ぶ場所がある、面倒くさい等々の理由で参加を見送っている方々が増えてしまったことが一番大きな要因だと 思います。
これはお引上げだけの問題ではなく、朝市でも同じことが言えます。
お客さんがいなくなれば、店をたたむのは当然です。
町の活性化とは結局は人出です。自分たちの町の活性化を人任せにせず、「寂しくなった」 などと第三者目線でいう前に、まず参加してみませんか。きっとテンションが上がるはずです。
そして「地域行事に参加する」ことを、今の朝ドラに見習って家訓にしてみませんか。
そうすれば、親から子、子から孫へと つながり、活性化が図られると思います。
さあ、今年は重い腰を上げて、お引上げに行ってみましょう。
最初にお寺へのお参りを済ませるのが作法です。次に露店に繰り出しましょう。
かきざきスポーツクラブ 大日方義久
平成28年(2016)6月16日 上越タイムスへ寄稿